5代目☆AIUを広め隊 2018!

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卒業記事特集 (ヒロの卒業) 第四章 (Be a Global Leaderについて)

第四章になります。

 

第三章の内容は執筆時には僕の意見であると思って書いてましたが、

昨年(2017年)の大学パンフレットを読み返していると、同じことが書いてあり

少々驚きました。以下に引用します。

 

『「国際教養教育」の目的は、特定の専門分野の深い知識を身に着ける専門教育とは異なり、①学びや経験を通した知識と理解の広がり、②問題解決のためのスキル③新たな探求心や創造的な思考力の修得を通じて、複雑化し変化を続ける現代社会の中においても、専門性に頼りすぎず適切な判断を下せる多角的な視点を身に付けることになります。』

 

最初から引用しておけばよかった。(笑)

そして、僕が長々考えていた時間はなんだったのだろうと思ってしまいますが(笑)

 

 

さて

気を取り直して、

第四章、グローバルリーダーについてですが

先ほどのパンフレット、の一ページ目の横に記述されている

大学のミッションステートメントには次のようにあります。

 

国際教養大学は「国際教養教育」を教学理念に掲げ、グローバル社会におけるリーダーを育成することを使命とする。

 国際教養教育は、世界の広範な事象に関する幅広い知識と深い理解、物事の本質を見抜く洞察力や思考力、これらの上に築かれたグローバルな視野とともに、英語をはじめとする外国語の卓越したコミュニケーション能力を涵養する。

 国際教養教育を受けたものは、確固たる「個」を確立し、道義心の修養を通じて開かれた高潔な精神と情熱を持って、時代の諸課題に立ち向かい、自らが暮らす地域や所属する国家のみならず広く人類社会に貢献する』

 

『Be a Global Leader! 』

この言葉は、大学構内のいたるところに貼ってあります。

僕はこの一節を在学時、少々重荷に感じていました。

なぜならば、いくらなんでも、秋田の田舎の学校にしては理想が高すぎるだろうと、

少々気恥ずかしさを感じるくらいだったからです。

 

しかし、第三章で書いた国際教養(international liberal arts)と

このグローバルリーダー(Be a Global Leader!) が

深く結びついたものであるとわかった瞬間、

一気に認識が変わりました。

 

ここではなぜ、国際教養(international liberal arts)と

グローバルリーダー(Be a Global Leader!) が連結するのか、

また、グローバルリーダーとは何か。

さらに言えば、日本人がグローバルリーダーになるのが容易ではないと言われるのか

についても記述したいと思います。

 

 

グローバルリーダーとは何か?

関連する記述が『学歴革命』にありましたので、引用します。

章題: AIUから社会変革のリーダーを育てたい

『この小さな大学から、目立たずとも着実に前進しながらも、大きな役割を国の内外で果たせる人材を育て、社会に輩出したいと願っているのです。』

吉田松陰は、明治維新を担った若者たちを、社会変革の担い手として、実際に育て上げることで、その思いを結実させることができました。私も社会変革への想いを学生たちに託し、「現代の松下村塾」としてのAIUから、次代のリーダーを育てたいと考えているのです』

ここから読みとれるグローバルリーダーの定義としては

 

社会変革の担い手として目立たずとも、着実に前進しながら大きな役割を

国の内外で果たす人材ということでしょう。

 

次に、国際教養(international liberal artsとグローバルリーダー)の関連についてです。

 

社会変革を成し遂げるためには、社会の中で問題を見つけ、それを解決するということが必要になります。AIUは、このためのカリキュラムが段階的にEAP(English Academic Purposes)から卒論まで限られた時間ではありますが、徹底的にプログラムされています。特に、AIUでの卒業論文の執筆プロセスは非常に重要だったと卒業した今になって思います。

 

大学在学期間の4年間および(長い人では)8年間で、グローバルリーダーとして何かを成し遂げることはできないでしょう。(社会経験もない学生にできるとは思いません)

 

ですが、グローバルリーダーになるためのしっかりとした教育を行い、

そのベースを学生の中に根付かせること、そのものが国際教養(international liberal arts)を学ぶことだと感じます。

 

さらに、そもそも中嶋初代学長がAIUを既存の大学に挑戦する形で、新規に設立したのは何故か、その背景が重要だと思います。おそらく中嶋先生は、専門教育主体で硬直的な日本の大学の仕組みでは、グローバルリーダーを育てることは容易ではないし時間がかかりすぎる

と考えたからだと考えます。

 

では、なぜ日本の既存の大学教育では、グローバルリーダーを育てることが容易ではないか、中嶋学長の考えを僕なりに推察してみようと思います。結論からいうと、専門に頼りすぎると、ともすると「それは自分の専門ではありません」という言い訳に逃げてしまう傾向があるからだと思います。

 第3章では、リベラルアーツ教育がめざす"自由な人間"とは「一個人として社会に対峙し、将来を含めた問題の発見力と専門家の英知を結集して問題を解決していく力がある人間」であり、さらに、専門性に頼りすぎると「それは私の専門ではない」という思考の落とし穴に陥ってしまい、自分の専門の問題以外の問題には関心も責任も感じず、その結果、”奴隷”と言われても仕方がない態度をとってしまう専門家になってしまう。」と説明しました。

 グローバルリーダーは、専門家として「それは私の専門ではない」という言い訳はできません。問題に対峙するということはそういうことですね。逃げ場の無い世界は、安心できない不安定で時には苦しい立場です。しかし、グローバルリーダーとはそういうものなのだと思います。

  

 一方、日本の教育の歴史的経緯を考えると、なぜグローバルリーダーの育成が難しかったのかその一因が推測できます。

明治時代以降、日本国に最も必要な人材は'専門'的な人材であったことは確かでしょう。それは第二次大戦後の、高度経済成長期における「欧米に追いつけ、追い越せ」

という言葉に最も顕著にみてとれます。

 

その当時日本は、何もかも欧米に遅れていたため、欧米に専門知識を'学ぶ'ことが

急務となりました。そして日本の大学では、分業体制で各専門に分化し効率的にキャッチアップすることが正しかったのです。

分業して欧米の正答を学び、それを出来る限り精巧に、無駄のないように作る。

それが日本の近代化であり、

今現在日本の「ものづくり」と言われるものの原点になります。

これをビジネスの場を中心に、官僚、大学教育、

つまり産官学ともに中心に据えていました。

 

しかし、この体制は日本が欧米に追い付いた時から、また社会の複雑さがさらに進むにつれて、モデルの無い世界に入り、少なくとも効果的には機能しなくなってきているのではないかという懸念があります。

 

日本が世界でも有数(GDPで世界2位)の経済規模であった時から、日本は凋落の一方です。(1人当たりGDPは最高で3位で、現在では22位です)

 

追いついたと感じた瞬間、何をモデルとしてよいか、わからなくなったのではないでしょうか?

つまり、専門家は多数いたとしても、それをどのようにまとめ上げ、社会の進む方向を示していく統合的な学問とそれを担う人材が圧倒的に不足しているのではないかと考えます。

 

※それは自分の'専門'じゃないから、とある種責任逃れをしていた部分、もしくはそもそも、社会変革を成し遂げようとする意志や問題発見能力と解決能力の不足が、いわゆる知識偏重の「日本の'教養人'」にもあったのではないかと推測します。

 

国際教養大学(AIU)の教育は、第三章でも述べた真の自由な人間を育成することです。

これは、海外のリベラルアーツ教育と考え方は同じです。グローバルリーダーは、真に自由な人間であることが必須条件でしょう。

 

だから、AIUから「世界に社会変革を引き起こす

グローバルリーダーが生まれる」と中嶋先生は語ったのではないでしょうか。

 

 

おそらく、日本は経済成長の終わりと同時に、産官学の教育に大きな変革を行う必要があったのだと考えます。それに気づいたのが中嶋先生で、その問題を解決するために設立されたのが、ようやく開学15年を来年に迎える国際教養大学だった、こういう位置づけと僕は今考えています。

 

 

こう考えるとグローバルリーダーは、専門的な知識教育を重視する日本の大学では生まれにくいと指摘される理由がわかります。

 

グローバルリーダーを育てることを目的に行う教育が、まさに自由な人間を育成する国際教養(international liberal arts)教育だという共通認識があった。この中嶋元学長以下当時関係していた教師陣の共通の想いが、僕が記事冒頭で書いた (Be a Global Leader!)という一見大げさにもみえる言葉を学内に貼らせたのだと思います。

 

このように、国際教養大学(AIU)のリベラルアーツ教育がグローバルリーダーを作る、もしくは、そのベースを築くための大学であることを理解いただけたかと思います。

 

さて、実際、僕自身そして、時を同じくして卒業した同期や先輩について考えると

日本でも珍しく、貴重な良い教育を受けたという実感はあるものの、

グローバルリーダーについて、再考してみると、

Be a Global Leader !という一節は

ある種の大きな、大きな使命をAIU生に課していることに気付きます。

それは、この教育を受けた誰もが

『それ、僕の専門外の話なので。』もしくは、『他の誰か(専門家)がやってくれる。』

と逃げ道を作れなくなっている(笑)ということです。

 

つまりは、自分がその興味、関心、憤りの対象となる社会における問題というものに対し、『誰かが解決してくれる』と思った瞬間に、リベラルアーツ教育で学んだ意義を失ってしまうということであり、

 

現在発生している、および未来で発生するであろう

社会における諸問題に対し、

その問題の本質を発見し解決に導かなければならない、という

ある種の十字架を背負っているといると言えます。

 

もちろん、社会にはあまりにも多くの問題があり、一人の人生では、どんな偉大な人間でもその全てに挑戦し、解決することはできないでしょう。

 

しかし、生きている間にできうるならば、何回かグローバルリーダーとして、人生をかけて大きな問題解決に取り組まなければ、この大学での4年間の意味が雲散霧消することになります。

 

グローバルリーダーになりなさい。という一節が教育理念に刻まれている

国際教養大学(AIU)でリベラルアーツ(international liberal arts)を学び

卒業し、社会に出るということは

 

そういうことなのです。

 

正直、この第四章を執筆するまで、ここまでの覚悟を求められることになるとは

僕は強く自覚はしてませんでした。月並みな言葉にはなりますが

この機会を図らずも与えてくれた、このブログに感謝します。

 

次章においては、AIUの教育の集大成である、卒論の執筆こそ、リベラルアーツ教育の賜物であることは既に述べていますが、果たして、その前の教育がいかにリベラルアーツ教育と関連していくかを述べようと思います。