卒業記事特集 (ヒロの卒業) 第八章 END
新入生へ、今日はしっかり寝るんだぞ!!
明日はTOEFLだよね?!
はい、卒業生のヒロです。
8章まできましたが、今回が最後です。
卒業記事まみれのブログになってしまったことを少し謝罪したいです。
申し訳ない。この時期は新入生歓迎記事(わっぱくんがあげてましたが)
が来るのが、新入生にとってはありがたいよね。。知ってた。
でもまあ、4年を振り返るという今回の企画は今までなかった、ということと
それが重要なことだと思ったから企画しました。後悔はしていない(笑)。
さて、いかがだったでしょうか。
秋田の中でも孤島といわれる国際教養大学におよそ四年間(留学を除けば三年間)
お世話になったのですが、このような実態を見ながら僕は生活してきました。
このような記事を長々書いたのは以下のことがあったからです。
僕の広め隊在学中に、(国際教養大学を広め隊 3代目ブログの時期に)
広め隊ブログが炎上したことがありました。
その当時に対処にあたったのは当時1年の後半、2年の前半に差し掛かった僕と一つ上の伊達隊長の世代でした。
その当時は、僕自身大学のシステムを自信をもって答えられるほどの
知識も経験も足りませんでした。
泣く泣く、炎上に関するコメントの完全削除とコメントの認証制を取り入れ
事なきを得ました。
この大学のありのままを、良いものも悪いものも含めて、読者にお届けする、
これが広め隊の設立の信念でもあります。
既に書いたようにこの大学でサークルを長期にわたって、存続させ
活動的に運営することは4年になった今振り返っても難しいものがありました。
あの当時、学や知識、知恵の足りない僕が返答するには少々大きな事件だったため、
(僕自身もAIUという大学の全体像を掴み取ろうともがいていた所でしたので)
当時を振り返ると、対処としては最善ではなくとも、良かったとは思います。
そして現在、このブログに書き残すことがないようにAIUの内情を書き綴っていますが
開学15年を迎えるとはいえ、まだまだ成長の余地があり、より一層の努力が学生側にも大学側にも必要であることは間違いないです。
社会からは、日本のグローバル化に対応する急先鋒として見受けられるでしょうし、
事実その通りでもありますが、それは同時に、まだまだ若い大学であり、
多くの至らない所がある大学でもあります。
これからも、批判や誹りを受けることはあると思いますが、
しっかりとAIU生が自らの経験とAIUの等身大の実態を伝えていけば
理解を得られると思います。
一人の卒業生としてAIUに、感謝を述べるとともに、
AIUにかかわる方に謝辞とお願いをしようと思います。
学長をはじめ、教授陣、大学スタッフ、後輩の在学生、未来のAIU生、AIU入学を目指す受験生、AIUを支えてくれている秋田の皆様、
国際教養大学をぜひ、これからも、よろしくお願いします。
(卒業前に書いた記事はここまで)
(追想編)
さて、僕は2018年3月21日卒業を迎えたわけですが、
卒業式での鈴木 典比古学長のお話や、来賓の秋田行政の方、卒業生代表挨拶
大学終了後の祝賀パーティで名残惜しい時間を過ごしていた時に、もう少し書き綴ろうと感じたために追想編を作りました。この記事を本当の最後にしようと思います。
ここまで国際教養大学(AIU)の中嶋学長の精神やこの4年間の大学在籍時の経験を通して
AIUについて本当に長々と述べてきました。
(お読みくださった方、本当にありがとうございました。)
ここからは大学から離れた
僕個人の大学側への提言や提案をいくつかしようと思います。
来賓祝辞において、秋田行政の方が、切に卒業生に述べていたのは
秋田で過ごした日々を忘れないでほしい、首都圏に行っても秋田のことを応援してほしい、できたら何度か秋田に帰ってきてほしい、
という思いでした。
就職口が少なかったり、国際系の仕事を志す卒業生が多く、なかなか秋田に貢献する卒業生が少ないことが現実にあり、そのことが秋田県内のAIUに対する、しっくりしない気持ちを作り出していることは、
僕も秋田の地域の方々とお話していて感じるところです。。
ただ、国際教養大学の学生の中で、本当に秋田が大好きな人が多いと
感じているのも事実です。
それはAIUという場所が秋田にあること、ということもありますが、
最近大学の提供する授業に、秋田の地域コミュニティと交流するものが増えており
そこで、なんとかしなければ!という思いを持つ学生が増えていると感じているからでもあります。実際に11期広め隊メンバーの 羚 は秋田に帰ってくるようですし。
秋田に就職しない学生でも、就職の面接のときに、秋田での経験を挙げる方もいます。
さらには、秋田に貢献する方法というのは、秋田に住むこと、
秋田の経済に貢献することには必ずしも限らないと思います。
霞が関等の官庁や、日本の大手企業に秋田シンパを増やすことで、秋田に対する会社や政府機関の心象は変わりますし、秋田にかかわる仕事を持ってくる可能性もあります。
とはいえ、実感がなかなか届きづらいのも事実だと思いますので、
一つ具体的な提案を。
ふるさと納税についての提案なのですが、その中に国際教養大学のための項目を作ってもらい(ふるさと納税時に理由を選ぶ項目があるので)、国際教養大学側で卒業生に広報してもらい、目に見える形で秋田への愛をより簡単に示せる制度が欲しく思います。
こうすることで、卒業後秋田県への直接の貢献ができなくとも、間接的に少しばかりですが、AIU卒業生の思いを秋田に届けられるのかな、と思う次第です。
次はAIUの大学カリキュラムへの個人的な提案があります。
僕がAIUに対して中嶋学長の考え方を超えて、強く感じることは
グローバルビジネス課程において、
少し'実学'よりの学問を教えるべきではないか?
ということです。
たしかに欧米のビジネススクールは、昔は、戦略、マーケティング、ファイナンス、組織管理等の科目を中心にケーススタディで学ぶというシステムでしたが、
留学したNEOMAでも既に始まっていましたが、
最近のグローバル市場における、破壊的イノベーションに対応するべく
MBAでも、サプライチェーンマネジメントを含むオペレーションマネジメント、デザイン(設計)思考や、データサイエンス、APIエコノミー、人工知能の活用(アルゴリズム開発ではない)などの、いわゆる「マネジメント&エンジニアリング」の領域をカリキュラムに取り込むところが増えているようです。
例えば、留学したフランスのビジネススクールのAPIエコノミーの講義は「3コマ程度で、ラズベリーパイ、パイソンの使い方の基礎と、いくつかのビジネスケースを教えたら、あとはグループで議論し、最終コマ(15コマ)ではビジネスを提案し、評価し合う」というようなものでした。予め必要な知識も無く、技術的に難しいところも無いので、こうした技術は使うだけなら比較的容易です。(作れ!と言われたら作れませんが(笑)・・・)
社会変革のリーダーとして必須の基礎知識の領域が拡大してきているということでしょう。背景には、ビジネスで活用するソフトウェア・アプリケーションが、クラウド・サービスで提供され、しかも非常に安価に提供されはじめていることがあります。
理工系大学であれば、そのソフトウェアを”どう作るのか”を教えるため難しいのでしょうが、AIUは国際教養という立場から、”どう使っていくのか、それがビジネスや社会にどのように影響を与えていくのか”という視点でカリキュラム開発を行えばよく、英語に強いAIUにとって、大きな差別化のチャンスなのではないかと思います。
日本の大学では、理工系大学は専門に分化してしまい、また経営学は文系が取り扱えることしか扱わない傾向が強くあるような気がします。この狭間をついて、AIUが英語力と国際教養(シンセシス)力とを発揮して、経営×ITという、いわば統合的な領域でのリードしていくことは十分可能と思います。
素早く失敗し、フィードバックを行い、より良いもの、社会に良い影響を与えるものを世に出す速さを速くするのが現在のイノベーションの方法であるからして、
自由七科『文法学、修辞学、論理学(3学)と算術、幾何、天文学、音楽(4科)』
であり現代では
『学資課程において、人文科学、社会科学、自然科学の基礎分野を横断的に教育する
科目群・教育プログラム』とされていても
マネジメント&エンジニアリングの分野を、少なくともグローバルビジネスの分野の一つ(科目)に加えてもいいのではないかと、考えています。
僕自身、グローバルビジネス課程の学習はMBAの教育と経済学部を融合させたものだと理解しているため、そういう意味でもMBAの新分野を教えても
おかしくはないと思います。
というわけで、
卒業し、新たなステージに入った僕がAIUに提案したいものは二つ
一つ目は、卒業生が秋田への愛を示す、可視化してわかりやすく、現在の秋田でのAIUの立ち位置を変える方策を提案し、実現すること。
二つ目は、マネジメント&エンジニアリング分野の科目の追加。
(できれば、日本の製造業の方に来てもらう、もしくは、それを教えられる先生を呼び、日本語の資料を英語を使い、留学生を交えて、学ぶ授業が欲しいと考えます。)
以上となります。
これで、本当に最後です。
国際教養大学のすべての行事の雰囲気すべてに、ついていけたわけでもなく、
むしろ、目立たないように地味に過ごしていたAIU生活ですが、
個人的には満足した記事を書くことができたと思います。
卒業後もまた、広め隊以外でブログを出来たらいいな、とも思っているので
もし半年後あたりに、見つけられた方がいたら、
コメントしてくれたらうれしく思います。
ではでは、お世話になりました。またどこかで会う日まで。