卒業記事特集 (ヒロの卒業) 第二章 (体系的なAIU在学期間の流れまとめ)
さて、第一章に引き続き、第二章ですが、
体系的なAIU在学期間の流れをまとめようと思います。
第一章で、中嶋先生の生い立ちから大学改革着手前までで、中嶋先生がどのような教諭であったか、を少し知っていただければ、うれしく思います。
(書き手である僕は残念なことに中嶋先生を一目みることもなかったため、著書等を読んで書くことしかできないので、あまり知っている面はできないのですが。)
中嶋先生の大学改革着手以降は少し乱暴ですがまとめると、
東京外語大の学長を3期なされたものの、本人が思うような大学改革をやり遂げることができず、国際教養大学を作り、日本の大学改革のロールモデルの一つを作ろうと奔走したという次第です。
→この記事を書いている僕としても、
ここには多くのドラマがあり、記事に叙述したかったのですが
記事の尺の都合で泣く泣くカットしていますので、
気になる方はぜひ、『学歴革命』を読んでください。
著書の『学歴革命』は2012年3月初版ですので、
僕が大学に入る2年前に出版されたということになります。
(著書の中での時間軸は
8期生が入学したときのAIUのシステムを紹介していますので、約8年前ですね)
第二章は国際教養大学の屋台骨の教育システムを
僕の4年間を例として書いていきたいと考えています。
ここからの話は中嶋先生著『学歴革命』の内容とかぶせながら、
この本の初版が出版されてから入った僕の4年間で僕が経験したものと、
その内容がどの程度事実(卒業を迎えるときに首肯できるもの)で、
どこがその当時の中嶋先生のAIUの将来像
(つまりは、もし急死なさらず10年以上学長を続け、大学を引っ張っていったら、
根付いていただろう教育システム)
なのかを書いていこうと考えています。
国際教養大学が日本でも独特でかつ、
最もグローバル化に対応できた成功例であるかは、
一重に中嶋学長の理念と実行力に指導された部分がその当時大きく、
その推進力を突然失ったAIUは後継者の選定、中嶋学長の描かれたAIUの将来図への実現力の低下を危ぶまれる恐れがありました。
幸いなことに、鈴木典比古先生が学長を引き継いで下さり、
国際教養大学は新たな一歩を踏み出すことになります。
大学の基本的理念や方針は変わりません、が中嶋学長の時代とそのあとでは、大学内の空気に微妙な変化が起きたのではないかという印象は、
AIUがどんな大学であるかについて、中嶋学長に影響を受けている世代の学生とそのあとの学生の間で話していると受けます。
もちろん、それは良い面もあり、悪い面もあります。
良い面は大学の方針がより、多面的になる点、悪い面は中嶋学長が急死されるときにまだまだ、理想の途中で途絶もしくは微妙な方向転換が行われ、全体としてみると中途半端な部分があるかもしれない点です。
この点を考慮しながら国際教養大学での僕の4年間を見返してみることにしましょう。
僕たちのブログを読んでくださる方には既に耳コピかもしれませんが、
この大学には大きくわけて、4つのステップがあります。
一つ目 EAP (English Academic Purposes)、これは二つ目のステップであるBE(Basic Education)において、英語で代数学、統計学、物理、化学、生物、社会学、政治学、国際関係論その他たくさんの科目の授業に必要な、speaking, listening, writing, readingの4つの技能の基礎を身に着けるためのステップです。
三つ目は留学、四つ目は専門課程(GB,GS)です。
僕たちの大学の入学試験は、英語では、
2000-3000語の文章を読んだうえでの、250-300語の長文英作文が課されます
しかし、2段階目のステップである、
Basic Education(BE)においては、
原則として 毎週一科目につき、
最大、毎週英語の論文20-30ページを読んだうえで、毎週500-1000語程度のshort essayを英語でまとめ、毎月2000-3000語の論文を英語で書くことができることが求められます。
もちろん、授業での教授の授業を理解し、個人、グループでプレゼンテーションを毎週行うというものがこれに追加で入る場合もあります。
(とはいえ、毎週違うグループが行うため一月に一回くらいです。一つの授業当たり)
(実際にEAP終了後にこれをすべての科目において、簡単にかける、もしくはこなせる、人はなかなかいません。BEでは、EAPで積み残したもの、もしくは、学んだものを発揮する演習という役割があるのだと推察します。)
※↑は脅かしも入っています。
上記の例は、いくつかの授業で出されるもので、すべての授業でこれらの課題がすべて、出されるものではありません。が、原則これくらいできるとBEの教授は考えているため、出す教授は出します。
→実際には出さない教授もいます。
→こういう教授は2年生はねらい目というか、多くの人がとります。
(自分の能力の許容範囲を著しく超えて授業をとると、つらいですからね)
そして、原則これに耐えうるための英語力を鍛えるためにEAPは存在します。
ですから、EAPを卒業するためにはTOEFL-ITP 500点以上が求められるのです。
そして、BEでの学習はすべて、3番目のステップ、留学の準備ということになります。
(留学先での授業で生き残るための準備)
また、BEでは、基本的に履修科目に制限はないため、
存分に興味の赴くままに授業を取ることが推奨されます。
※必修単位が多いので、"制限がない"とは必ずしも言えません。
(これは、中嶋学長の国際教養を学ぶために多くの学問の基礎を身に着けさせるべきだという方針に基づいています。)
BEには留学の準備というもののほかに、
最後のステップ、専門課程への移行という意味合いがあります。
2018年現在AIUにはグローバルビジネス(GB)課程、グローバルスタディーズ課程(GS)
が存在し、これらにすべての学生が属することになります。
BEで多くの科目を取る間に興味を持った(最終的には、卒論で書く)分野をある程度、
大きな枠としてはとりあえず、グローバルビジネス(GB)とグローバルスタディ-ズ(GS)ですが、決める時期がBEであるという性質もあります。
※※ここでグローバルスタディーズ課程を専攻すると
留学前に卒論の内容の候補を提出し、
留学中に卒論にかかわる本を読むことを留学中の課題として
課される場合もあります。(ブックレビュー)
そのため、どちらの専門課程へ移行するかの決断は
BEを卒業するステップにおいて(大体2年の中頃)
主に行われます。また、その時期に留学希望届けの提出も始まります。
(留学先によっては、GB,GSどちらかしか、そこにはいけない場合もあります)
さて、留学ですが、ここについては基本的にはサバイバルです。
国際教養大学は留学前のホスト先の大学へのアプライや、住居(留学先の学生寮)の確保等、多くのことについて、詳細な過去のデータや実績、そして優秀なサポートスタッフがいるため、
一人でやると煩雑な作業についての詳細な説明、各種保険やビザの手配へのサポート、わからないことや、緊急時の相談窓口を担当する留学センターがあります。
また、留学中の健康へのケアや心理状況の変化の傾向などを大学の保険医の方が講演し、なるべく充実した留学になるよう、ありとあらゆるサポートがあります。
これにより、留学という、一大学生がすべてをやるには大きなことへのハードルが、
大学の課程の一環のように当たり前のごとく、全員出発し、無事に帰ってくることができるのです。
留学先では留学前にいろいろな説明を受けたことをまず、実践したりしながらホスト先の大学に慣れていくのですが、しかし、上記のサポートが手厚かろうとも
当たり前ですがトラブルは多発します。
身の回りの物への注意が足りなかったり、英語が通じなかったり、一年有効のバスカードが支給された初日から期限切れだったり、ホスト先の大学オフィスの人の言うことが人によって、正反対だったり、本当にいろいろなことがあります。
※こっちは一年留学のつもりで来たのに、あっちは、半年で帰ると思ってたとかね!
(ホスト先の留学担当が変わった等で、たいていの人が半年の留学なので、一年留学をする人へのサポートノウハウが共有されてなかったり、そもそもそんなシステムがなく、テキトー(のように見え)だったりするわけです)
そんな状況を生き残るサバイバルスキルはもちろん身に付きます。
これだけ例があればわかりますよね。全部ひとりの学生に起こったことですよ。
また、留学先の授業のレベルもホスト先次第だったりします。
もちろん、ほぼすべて、各国の一流大学ですが、
フランスのビジネススクールの授業は、だいぶ講義系の授業が多かったり、
アメリカだとディスカッションが多めだったり、
期末試験一つとっても、ペーパーなのか、テスト形式なのか、プレゼンなのか、
ペーパーのタイプでも、6時間あげるから、白い紙にこの授業で学んだことや、何でもいいからレポート書いて、というタイプもあります。
留学の話が長くなりましたが、この程度はだれでもありますし、留学を終えて帰ってくると、こういうそれぞれが、それぞれの愚痴の塊を自然と吐き出すようになります。
ただ、これだけ愚痴をいいつつ、帰国すぐは日本はいいなーとか言ってるけど、
3か月たつと、留学先に行きたい!とか言い出します。
※個人的には、フランスは旅行はしたいけど、住みたくはないですね。
→こんな人間は留学帰りの人間では少数派です。
さて、留学終了後は最後のステップ、
専門課程での学習になります。
AIUでの生活の最終章になります。
まずは卒業論文について
AIUではGB,GSに分かれた後、
それぞれの教授につき、卒論をかくことが卒業するために必修となります。
留学後に取る授業で人にもよりますが、
たいてい5000-7000語、多い人だと20000語の論文を書いていると聞きます。
※やむを得ない事情により2000-3000語の時もあると聞きますが、希少種です。
生活面では、この時期になると、大学に知らない後輩がドバっといて、AIUで老害であるのでは。。と感じるようになります。(個人の感想です)
これは、2年後半、3年前半で留学開始すると、その時の1年後輩が自分たちと入れ替わりで留学するため、自分たちが4年で帰ってくる頃には、その時点での2年生、1年生の学生をまったく知らないために起こります。
→これは後述(他の記事)のクラブ活動に関係が出てきます。
また、就活も始まります。
これについては僕自身ものすごくたくさん言いたいことがありますし、それは言っても仕方のないことでもあります。
→それも後述(他の記事)
ですが、事実を話しますと、
留学後すぐに4年卒業を目指す人は、すぐに就活の準備をすることになります。
(人によっては、毎年11月にあるボストンキャリアフォーラムや
そのほかのキャリアフォーラムで、その時点で就職を決めている場合もありますが、
ほとんどの人はそうではありません。)
大学にも多くの企業が説明会を行いにこられます。
とはいえ、3月~4月以降になると
就活生は、大学を離れ、仙台、東京、大阪に就職活動の範囲を広げているようです。
ここで一つ疑問が浮かびます。
え、授業は?と。
4年卒業を目指す方は単位の履修速度が早いため
(そのため、頑張らないと成績(GPAといいますが、)
が下がる危険ありなので、新入生は頑張ってください)、
この時期には単位を取る数を減らすことができるようになります。
※ただし、この時点で4年卒業を目指す人が卒業まで残り0単位という猛者はほとんど見たことがありません。
なので、秋田と首都圏や仙台を行き来しながらの就活になります。
※主に4年生の春セメスター(4-7月)にあたる時期です。
ここに卒論を入れる方もいますがこれまた猛者ですね。(笑)。
回避する方が多いです。
たいてい、3つから4つの授業を取りながら就活をする方が多いですね。
※猛者は卒論+就活+3-4の授業 or 就活+6つ授業 とかいう人もいます。
で、秋セメスター(9月から)に卒論をやっていない方は卒論をし、
卒業という手順になります。
これが最短ルートであり、かなり忙しいルートでもあります。
※これで早期卒業(3年半)をする方もまれにいるので、これはすごい。。
もちろん、サークルに入らなかったり、娯楽を最小限にすれば可能かもしれませんが、そういう人に限って、サークル2つ以上掛け持ち(一つではリーダー)+バイトもしっかりやってるときがあったり、、
もう、仕事をこなす量ではかないませんな。
もはや呆れ半分で、感嘆します。
まあ、この4年間全体のステップとしてはこのような形です。
一つのステップでつまずくと、それは4年卒業への障害となりますので、
目指す方は注意してください。
とはいえ、すべて完璧でなくても4年卒業はできる方もそれなりにいます。
ただ、どこかのステップにひずみが生じているとは思います。
例えば、就活期間が短かったり、就活と卒論が重なり、
卒論を満足に書く時間がなかったり、等。
※まず、スタートダッシュができる方法は入学後TOEFLで500点以上とること、これでだいぶ違いますので、頑張ってください。
ただ、EAP1始まりでも4年卒業はいます。3-4割かな?
ので、万が一EAP1はじまりでもあとの努力次第でなんとでもなります。
全体としては4年卒業は6割ー7割くらいでしょうか。
※このごろ割合が増えている印象があります→これについても後述(別記事)
これが僕が見てきた4年卒業の学生の姿です。
体系的に4年間のAIUでの生活を具体的にまとめる記事がなかったために
このような記事を書きました。
お役に立ててくれれば幸いです。
次回は、AIUのリベラルアーツ教育の根幹に切り込む一章です。
ぜひお読みください。