卒業記事特集 第五章 (AIUの授業とリベラルアーツの関連について)
こんにちは。
卒業生のヒロです。そろそろ、新入生が入ってくる時期に差し掛かるので
今日明日中に一気にUPしようと思います。
第三章のもとで、AIUでの学習の集大成である卒業論文を例にあげましたが、
第五章では、卒業論文執筆前において、どのような
リベラルアーツ教育が行われているのか。
その一例を書こうと思います。
僕が一番重要だと考えるのは
EAPのステップを終えて多くの学生が履修することになる
BEの必修科目Composition 1(英作文) です。
これは、外から見れば、あくまで'英語を'学ぶ授業のように見えますが
随所にリベラルアーツ教育の基礎を学ぶポイントが見えます。
EAPの時はwritingの授業でエッセーのテーマを教授に決められる時もあるのですが
(例えば、'日本の英語教育について'などを書いていた印象があります。)
Compositionでは、大抵テーマは自由に学生が決められます。
この授業ではセメスターに2-3つのエッセーもしくは論文を書くことになります。
ただし、お題が決められていて僕が受けていた時は以下の通りです。
一つ目のエッセーは
critical analysis(批評的分析) という議論の構造にすることが課題となります。
期間は一カ月、分量は1000-2000語、参考文献を五つ程度含めるという条件のもとに、
通常とは逆に、テーマは自由に選択する という形で書くことになります。
通常は、専門分野のテーマを設定し、その知識の習得しその範囲で議論する手法と思います。AIUの方法は、通常と比較すると課題の与え方が特徴的なことがわかります。
僕はその当時youtubeにあるインドの貧困撲滅を訴えるPR動画について記述しました。
一見、人の同情を買うような動画で、動画としてのストーリーは感動を誘うものでしたが、その動画をプロモーションしている組織を調べてみると
情報があまり公開されておらず、実際にどの程度貧困撲滅の活動にお金が投入されているのかが、よくわからないことに気付き、そのもとで色々な可能性(実際は組織としての体をなしていない可能性、経営者の経験不足、反社会的組織の資金集め、等)を指摘するものとなりました。
二つ目はargumentative essay (対立する論点を包含する論文)についてで
期限は一カ月-一カ月半、分量は1000-2000語、参考文献は7つ程度という条件でしたが
この当時、その授業の先生の方針として、分量はいくらでも構わないのでしっかり書くようにという指導をされ、約3000語書いたのを覚えています。
この論文もテーマは自由とされ、僕は'宗教と科学(の共存)について'というもので書いた記憶があります。
アメリカ社会の一部に存在する宗教的考え方を絶対視し、科学的考え方を軽視する一派と現代の科学的考え方を上位に置く考え方の人々をそれぞれ分析し、共存する道を探る
という内容だったと思います。
その授業がユダヤ人の教授であったのも、幸運に恵まれたと思います。
教授の宗教観や彼自身が感じる
日本人の特色(欧米と日本古来の考え方を共存させてきた日本社会を彼はかなり
研究していました) を論文執筆中にオフィスでかなり長い時間、そして長い期間議論したのは今でも良い思い出となっています。
※他にも、原体験としては
僕が高校時代に親友と、宇宙の始まりについて議論をしたことや
(ビッグバンとキリスト教的な天地創造の物語が人々にどのような思想的枠組みを
与えているか等)
さらに、AIUで知り合った友人で生まれたときから、厳格なキリスト教の家庭で過ごした学生へのヒアリングも、授業の課題ではなく自主的に行ったりしていました。
これらは、第三章において叙述した
『リベラルアーツ(=international liberal arts)とは、”奴隷”(= 言われたことしかできない人間)”ではなく、真の意味で"自由(liberal)な人間"になるための”知恵(arts)”という意味と思います。
ここで、"自由な人間"とはどのような人間でしょうか。
端的にいえば、「一個人として社会に対峙し、将来を含めた問題の発見力と専門家の英知を結集して問題を解決していく力がある人間」』
内容に深く関係するのと同時に
飽くまで、「自分で設定したテーマ」をまとめるために、
分野を超え、文献を集めたりする必要が出てきます。
'専門'へのこだわりは、この論文を書く場合には仇になりがちです。
一方の意見へ寄り過ぎてしまったり、予め定められた専門の範囲でのみ議論を組み立てるとすれば、最も重要なargumentative (議論)の対立軸の設定が、自由にできなくなり、本質的な議論が確立できなくなりがちです。
さて、このCompositionという授業はその他のBEの授業での
課題のベースとなるものです。
この授業を終え、四年で書く卒業論文のテーマ探しとその研究が
基盤教育であるBEと留学中の授業を通して、そして卒論執筆中に行われます。
このように、卒論を書く前の授業でのリベラルアーツ教育では
'Compositon(英作文)'の授業が一つ最も重要なものとして挙げられると
僕は考えます。
追記
Compositionの授業は 'Composition ① ' と
'Composition ②'に分かれどちらも履修しなくてはなりません。
Critical Thinking(批評的分析), Argumentative(議論を包含する), の他に
Cause and Effect (原因と結果)、Synthesis 【議論の統合(上記の複数の手法を統合)】
などの議論の構造を課題として設定するところがポイントです。これはそのまま問題解決に向けた思考プロセスを学ぶということになるわけです。
最後のSynthesis【統合的な研究】は、Composition 2において書く論文です。
それ以前のanalysis (分析的な研究)は、専門的な分野に論文が分化していきます。
リベラルアーツ教育においては'Synthesis' で
分化していった議論をまとめ、最終的に統合し、
どのような結論を出すのかが最も特徴的であると思います。
追記2
国際教養大学生(AIU生)にとっては、当たり前で、もはやいう必要もない事柄になっていて僕も失念していたのですが、この授業では教授はほとんど講義はしません。
もちろん、授業教室に集まり、教授が前にいるのですが、
周りの学生たちとペアレビューだったり、直接教授にエッセーや論文の内容について
相談したりする授業です。セメスターの最初に、この授業のシラバスについて説明したあとは、それぞれのお題(critical analysis等)の説明をしたあとは、
授業教室の前に教授が立ち、色々な講義をせず、学生たちは自分のテーマについて試案しながら、時には周りの学生や教授と相談したり、パソコンを使い文献を検索したり、
はたまた、この一週間のエッセー執筆の予定を整理したりしています。
授業時間での教授との相談で、納得できない場合は、教授のオフィスになだれ込み
長時間にわたって相談することが常です。
※いうまでもないことですが、授業で日本語は使いません。
第六章は僕が過ごした
4年間のAIUという大学の内部と外部の立ち位置の変化です。
この4年間でもAIUは大きく変わりました。そのことについて書きたいと思います。